旧暦8月15日(新暦でいうと2011年は9月12日)は中秋節です。
秋の夜空に光り輝く月。この月を崇める風習は古代中国から続いております。
今から遡る3000年以上前の周の時代、天子は「春分」に太陽を祭り、
「秋分」には月を祭り、豊作をお祈りしていたそうです。
しかし、「秋分」は往々にして満月ではない日がほとんどであったそうです。
そこで、唐代には、旧暦の8月15日に変更となりました。
旧暦7月、8月、9月は秋季にあたります。
8月15日は秋季の中間に位置するので、 「中秋」と呼ばれるようになりました。
(他にもさまざまな言い伝えがあります。)
日本には850年に伝わったとされております。
皇帝が祭ってきた「中秋節」もやがて民間にも広まり、
現在中国では、 庭にお供えをし、お月見をしたり、月餅を食べたり、
家族みずいらず、一家団欒でお祝いします。
〜中秋節にまつわる神話・伝説〜
『嫦娥奔月』
中国の古代(堯とされている)に10個の太陽が同時に出現しました。
そのため、川は干上がり、木々や農作物は枯れ、焼け付く暑さに人々は苦しめられていました。
そのとき弓の名手、「后(こうげい)」が9個の太陽をつぎつぎと射落しました。
最後に残った太陽は射落とされることを恐れ、“早朝にのぼり、夕方に沈む”という
「后(こうげい)」の求めを聞き入れました。
気候は安定をし、人々は平和に暮らせるようになりました。
英雄になった「后(こうげい)」は、「嫦娥(じょうが)」という美しい娘を 嫁にもらい、
仲睦まじい生活を送ります。
ある日、「こうげい」は狩りから家に帰る途中に年を取った道士に出会います。
その道志は9個の太陽を射落としたことに感心し、
「后(こうげい)」に不老不死の薬を与えました。
家に持ち帰り、その薬は「嫦娥(じょうが)」にしまってもらいます。
その年の8月15日のことです。
「后(こうげい)」が出かけている間に、不老不死の薬の話を聞きつけた
「蓬蒙(ほうもう)」が「嫦娥(じょうが)」より薬を奪おうとします。
「嫦娥(じょうが)」は薬をとられまいと飲んでしまいます。
すると、「嫦娥じょうが」の体は軽くなり、月へ舞い上がってしまいます。
狩りから帰ってきた「后(こうげい)」は事情を聞いて月を追いかけましたが、
月にはたどり着くことができませんでした。
「后(こうげい)」は悲嘆にくれました。
そして、庭に「嫦娥(じょうが)」の好きだった果物を乗せたテーブルを運び、
心優しい「嫦娥(じょうが)」を偲びました。
このことは毎年続き、しだいに世間に言い伝わりました。
いまでも中国では、月に「月娘娘」がいると言われています。
*不老不死の薬を「嫦娥(じょうが)」が盗み飲みしたお話や、
道士ではなく西王母であったと、様々なお話が言い伝えられております。
他にも、
うさぎが月で薬草をつくというお話『玉兎』、
月の中の大きな金木犀の木を倒すお話『找桂』
等の神話・伝説もあります。